東京農工大学中国同窓会と友好を深める会

経過と歴史


農工大日中友好会創立のいきさつ         

2001.1.8 原田 勉


1、友好の始まりと農文協の役割
2、北京農学会の日中交流
3、東京農工大同窓会北京支部成立大会(第1回)
4、継続は力なり、更なる発展を目指して


1、友好の始まりと農文協の役割
 1989年5月7日、私はひとりで北京空港に降り立った。農文協から派遣された目的は二つあった。一つは日中合作映画の製作で、二つめは農業科学院の科学技術出版社に農文協の連絡室を開設して頂くことであった。
 すでに、1986年から農文協の坂本専務が農業科学院・農業映画社・農業科学技術出版社と交流を始め、88年には中国の出版物の翻訳出版・日中映画の合作(日本での撮影など)が進んでいた。私は映画・出版製作の実務者として推進する役割があった。そのために、中国農業部をはじめ、上記の関係団体の幹部と面談し、実務の交渉を行い、各地の見学をした。この時期は中国側も日本との交流を強く要望しており、訪問した小学校、中学校、農村、郷鎮企業、研究所、テレビ局では盛んな歓迎を受け、日本訪問・日本の友達との文通など多くの要望を寄せられた。しかし、5月半ばから天安門に集まる学生や群衆の動きが活発になり17日の帰国時は空港までの交通も渋滞する事態になり、日本への帰国を急いだ。
                    * * *

 1989年、天安門事件の後の中国では国慶節にも、自由主義諸国の参加がなく、国際交流が閉ざされていた。この時農文協に対して中国農業科学院から坂本専務と原田理事を国慶節に招待するという書状がついた。9月27日から10月6日の訪中だった。招待されたのは東ドイツと北朝鮮関係者だけで、日本からは農文協のわれわれだけだった。
 中国農業科学院主催の国慶節レセプションでは「困難なときに助け合うのが真の友人だ」という歓迎の言葉をもらった。農文協からは『十億人を養う』など3点の中国図書の日本語訳を寄贈した。そして中日双方の出資で農業図書の出版と文献陳列室の設置など今後の交流と協力を約束した(招待行事は省略)。
 このとき同じく9月30日北京市農林科学院を訪問、ここで初めて前院長の宋秉彝先生に面会、農工大日中友好会の始まるきっかけとなった。続いて10月2日、私の宿泊先である友誼賓館に宋秉彝先生と孫昌其先生の来訪を受けた。
 宋先生の略歴を紹介すると、1926年1月1日北京市大興県生まれ、日本語で言うと(そう へいい)さんである。1944(昭和19)年4月東京農林専門学校農科に入学、駒場寮では土屋国夫室長、同期生の鈴木隆・瓶子長一・富永衛(農22年卒)等と同室であった。1944年12月、日中戦争激化のため中途退学を余儀なくされて帰国(そのため同窓会名簿にはない、この頃の事情は宋先生の報告に詳しい)。
 中国へ帰国後、北京農業大学にて作物・育種学を学ぶ。卒業後同校講師を経て北京市農林科学院研究員となり、小麦の品種改良に従事、蛋白含量の多い北京小麦種を開発し、全国に普及している。1980年代北京市農林科学院院長となり、北京・天津地域の農業指導者として多くの後輩を指導育成した。
 1984年日中国交回復後、東京都・北京市姉妹都市提携の第一回農林使節団長として来日。当時東京都農業試験場場長であった私と同期の芦川孝三郎の案内で東京農工大学を訪問、渡部直吉・赤間昇・大垣智昭など旧友と再会した。私はこの時は会っていなかった。
 宋先生は当時、北京市農林科学院の研究員(教授)高級農芸師であり、北京農学会理事長、中国農学会常務理事、北京市政治協商会議常務委員、経済科学技術委員会副主任、北京市政府専業顧問の要職にあった。
 孫先生は1943(昭和18)年9月農科卒で、九州大学に1年いて帰国、幾多の変遷を経て、近年は定年まで農業科学院技術情報センターに勤務していた。40年余り日本語を話していないので、上手くないが私も協力する、と言われた。 このホテルでの話し合いは府中在学中の想い出と同窓生としての心からの信頼と友情の結びつきとなった。二人の先輩は中国の農業はアメリカよりも日本に学ぶべきだと強調、農文協からの公式招聘状の発行などを依頼された。

2、北京農学会の日中交流
農文協では、宋先生の要望に応え招聘状を発行、これによって1991年6月には北京農学会訪日団(3人)来訪。日本農業の先進地の見学をされた。東京のけやきクラブでは同窓生70人が歓迎交流会に参加した。また1993年には北京農学会は北京近郊の県城市の県長クラスの幹部17人を組織して日本の食品産業考察団が来日した。この時も各地の同窓生の案内・招待で、北海道・関東・関西の先進地工場などの見学・交流を行った。
 以後宋先生は訪中した農工大同窓生・教授などの案内や学術交流の橋渡しの役割を果たし、世話になった同窓生は百数十人に達する。私もほとんど毎年のように訪中したので、その都度中国の同窓生のお世話になっている。
 なお、農文協ではその後も中国農業科学院内に「中日農業科学技術文献陳列室」並びに「日本農業科学技術応用研究室」を設置して、農業図書の出版や農業普及・農村指導の協力など、各種の支援活動を継続している。

3、東京農工大同窓会北京支部成立大会(第1回)
 1994年になって、中国側では、それまで分散していた中国在住の同窓生を宋先生と孫昌其先生が共に仲間に呼びかけて組織し、とりあえず北京を中心に「東京農工大学同窓会北京支部」を設立することになった。8月16日の第1回総会には日本側から東京農工大学同窓会常務理事会の了承を得て、前理事長下田博之を団長とし、けやきクラブを中心に同窓生12人で訪中・参加した。
 この組織は中国農学会の下部組織である北京農学会の分会として公式に認められた。その後、規模が中国全域に広がってきたので第2回からは「東京農工大学中国同窓会」と改称されている。
 東京農工大学中国同窓会の設立に伴い、第1回総会に参加した日本側の同窓生を中心に「東京農工大学中国同窓会と友好を深める会」(略称・農工大日中友好会)を結成したのは1995年1月に開かれた東京総会である。その後中国同窓会は毎年各地で開催され、その都度日本側から農工大日中友好会の会員が参加している。今では会員は約50人となっている。
 
4、継続は力なり、更なる発展を目指して
 農工大日中友好会のその後の交流活動を要約すれば次の通りである。

1994、8、16、北京市農林科学院で行われた農工大中国同窓会設立総会(9人)に日本から12人の訪中団を組織し参加。総会後、北京市近郊の名所と農村・大興県、順義県などの郷鎮企業、畜産施設を見学・幹部と交流した。

1995、10、13、北京市蔬菜研究所で開かれた第2回中国同窓会に、野村さん外女性も6人を合わせ16人参加、中国側12人。その後、蘆溝橋、蔬菜研究所、万里の長城、故宮、西安、上海、など、同じく同窓の松村進社長の旅行社のおかげで快適な旅行で好評で、その後も継続してお世話になっている。

1996、9、12、第3回中国同窓会は杭州の淅江農大で行われ、姉妹校提携調印のため梶井学長も参加、総勢28人、中国側も20人。杭州市内、稲作遺跡、中国一の名勝黄山、屯渓、古くからの農村などをへて上海から帰国した。

1997、1、孫昌其中国同窓会長急死の報に接し、同期の佐野敏男氏弔問。

1997、8、26、第4回中国同窓会は北京で孫昌其会長の墓参と追悼式・交流会の後、東北部訪問、ハルピンで東北農業大学、東北林業大学の同窓と交流会を行い、長春、大連・旅順の戦跡などを見学して帰国。日本からの参加者は26人。

1998、5、23、東京農工大本部同窓会総会に中国代表宋 秉彝先生参加、名誉会員に推薦される。日中友好会歓迎会開催。東京近郊・九州各地で同窓生と交流、7日間の滞在であった。

1998、10、6、第5回中国同窓会は上海理工大学で行い、同じく姉妹校である華東理工大学を表敬訪問した。中国側9人、日本側17人参加。上海丸興電子を見学した後、シルクロードを観光。

1999、9、5、第6回中国同窓会は雲南農業大学で行い、中国側7人、日本側32人が参加、昆明市内・花市場、中国園芸(花)博、昆明石林、大理、麗江、玉竜雪山、小数民族の農村など観光、今までで最高の参加者であった。

1999、10、21、東京農工大学開学50周年記念式典に雲南農大の陳海如校長ほか4人招待・参加、日中友好会として国分寺で歓迎会を行う。

2000、5、27、本部同窓会総会で農工大日中友好会の今までの交流活動を写真グラフで展示、併せてインターネット・ホームページの開設を認めてもらう。立ち上げは7月中旬、これによって中国でも見ることができるようになった。

ドメインは次の通りである。 http://jc-yuko.gr.jp/

2000、9、13、第7回中国同窓会は北京理工大学で行われ、中国側6人、日本側19人が参加。1月亡くなられた葉篤荘顧問の墓参。北京服装学院訪問、西安・陽関・ゴビ砂漠・敦煌の旅のあと再び北京で交流・再見を誓った。

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 会員並びに中国同窓会の幹部には、会報を発行してすでに20号を越えている。毎年の年初に総会を開き、その年の行事や交流の報告をしているが、この度インターネットも逐次更新、新しい情報を提供、広く会員を募っている。

 私たちは草の根運動として、ボランティアを続けて行くことが日中の架け橋になると信じている。とにかく継続することである、それはやがて志を継ぐ多くの同窓生によって環が広がり、ひいてはアジアの恒久平和を築く礎になるであろう。

(注)以上は東京農工大学留学生センターの依頼によって作成した。主として個人的体験を述べたもので、日中友好会の公式の見解ではないことをお断りします。ひとつの資料としてご検討ください。

(2001年1月8日 原田 勉



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